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ドイツ旅日記2019年春(下-北ドイツ編)(田中宏弁護士)

ドイツ旅日記2019年春(下-北ドイツ編(4月1日~4月10日))その2

 

一 分断,そして統一

 ベルリンはもともとドイツの首都であったが,第二次大戦後にドイツが東西に分断された後は,東ドイツ側の都市でありながら,都市の西側(西ベルリン)は,飛び地のような状態であり,かつ東西ベルリンの往来は可能であった(西ドイツの首都はボン)。しかし1961年に東西ベルリン間に壁が作られ,28年間,ベルリンは分断された状態になった。

 1989年に壁が崩壊し,東西ドイツが統一され,ドイツの首都は再びベルリンに戻ってきた。

 壁の周辺はそれまでなにもない状態であったが,このときから開発が始まり,ここ数年は,毎年変貌を遂げている。

 特にポツダマー・プラッツ付近や,動物園駅付近は,巨大なショッピング・モールが作られ,人の流れがかなり変わってきている。

 しかし,傍目からとはいえ,近年の狂騒とも言うべき開発ラッシュは,昔の街の姿を余りに変えてしまっているのではないか,という気もしている。特に,動物園駅近くの目抜き通り(最近はこんな言葉も使わなくなっているか)であるクーダムなども,どこにでもあるファストファッションの店が増えていて,興ざめという気もする。

 一方,旧東ベルリン側は,相対的に賃料等が安かったこともあってか,若い人達のスタートアップの拠点や,外国人の居住地としての色彩が濃い。したがって,トルコ系移民のファストフードであるケバブや,インド系のレストランなどが,かなり多く存在している。そんなこともあって,ベルリンはドイツの首都であるが,おそらく,ドイツの中でも,かなり多国籍で,ドイツらしからぬ街という感じがする。

①プレンツラウアーベルクにあるインド料理の店(ただし飲んでいるのはドイツビール)

(写真:プレンツラウアーベルクにあるインド料理の店(ただし飲んでいるのはドイツビール)

 しかし,こちらも開発の波が押しよせ,安かった賃料が大幅に値上げされるなど,住民には悩ましい状態になっていると聞いている。

 いずれにしても,ベルリンはドイツの首都でありながら,先進的気風に溢れた,ドイツらしからぬ街という側面も持ち合わせている。

 

二 「ゆるく,自由で,優しい」街

 ベルリンにいくといつも感じるのが,「緩やかで自由な空気」である。市内の鉄道に乗っていても,自転車をそのまま持ち込んでくる人,犬を連れて乗る人,2人乗りの大きな乳母車で押して乗ってくる人,バスに車いすで乗る人,誰もが自然に乗り込んできて,みんなが自然にサポートしている。そうかと思うと,流しのミュージシャン(結構上手)が一区間演奏して,お金をもらって去って行くことも。もちろん,中には変な人やスリもいるから,用心はしていなければならないが。

②Uバーン(地下鉄)にも自転車持込OK

(写真:Uバーン(地下鉄)にも自転車持込OK)

 そんな自由さは「ベルリンの壁」跡地にも現れている。壁は,その多くが取り壊されているが,一部は,その壁自体がギャラリー(イーストサイドギャラリー)として使われている。

③イーストサイドギャラリーの銘板

(写真:イーストサイドギャラリーの銘板)

 ここに描かれている画も,とてもセンスがいい。有名な,ブレジネフとホーネッカーの「オッサン同志のキス」の画の他にも,いろいろなものがある。

④ギャラリーにある「日本地区への連絡路」

(写真:ギャラリーにある「日本地区への連絡路」)

⑤ここから日独間を行き来できたらベルリン・フィルの定期会員になる

(写真:ここから日独間を行き来できたらベルリン・フィルの定期会員になる)

 

三 春の恒例行事「ハーフマラソン」

 ベルリンでは,マラソン大会がいくつか開催される。かつて高橋尚子や野口みずきが好記録で優勝したフルマラソンの「ベルリン・マラソン」は9月の最終週の日曜日に開催されるが,ハーフマラソンは4月の第1日曜日に開催される。ここ数年はベルリン滞在中にマラソンがあるので,毎回,沿道で見物している(「出場する」などという気は全くない)。

 大会の日は,中心部がコースになるため,市内を走っているバスの多くは使えない。特に中心部を走る100番・200番というバスは大会が終わるまで運休になるので,演奏会(日曜日は11時開演というのもある)に行くときは要注意である。

 ホテルの朝食ルームの窓から,コースとなるクーダムを見下ろしていると,最初にインラインスケートの部が通過していく。朝食を終えて,身支度をして,10時過ぎに沿道に出ると,このあたりは「ガチ勢(真剣に走っている人達)」が多い。それから少し時間が経つと,マイペース参加の人が増えてくる。そうすると身内の応援が増えてくる。いきおい,沿道から身を乗り出す人が増えると,警備のおまわりさんが,そっと注意する。それでいて,沿道で小さい子が手を出していると,走者たちが,そっとタッチして走っていく。この風景を見ていると「ベルリンらしくていいな~」と感じる。そりゃ,警備をガチガチにして事故がないようにするのも結構だけれど。

⑥沿道の子どもとタッチするランナー

(写真:沿道の子どもとタッチするランナー)

 少し移動して,カイザーウィルヘルム教会付近に行くと,沿道で「Bier」なんていうカードを掲げている人がいて,これはいったいどういう意味なのか…。ゴールしたら美味しいビールが待っているという励ましのようでもあるが,「無理しないで,もうビール飲みにいこうよ。」という悪魔の誘いのようにもみえる。

⑦ランナーへの悪魔の誘い?

(写真:ランナーへの悪魔の誘い?)

 

四 カリーヴルスト

 いつの間にか,ミュンヘンでもカリーヴルストを食べるようになってしまったのだが,カリーヴルストの本場は,やはりベルリン。いくつかのお店があるが,私は,動物園駅の前にあるCurry36というスタンドで食べることにしている。

 何の変哲も無い太めのソーセージを鉄板で焼いて,それを切って,ケチャップソースとカリーパウダーをかけて食べるだけなのだが,ここで食べると,ベルリンに戻ってきたという実感が湧く。

⑧カリーヴルスト&ポメス(フライドポテト)

(写真:カリーヴルスト&ポメス(フライドポテト))

 

五 公共交通機関

 市内の移動は,Sバーン(市内電車),Uバーン(地下鉄),トラム(路面電車),バスが中心で,タクシーを使うのは,ホテルから空港に行くときくらいである。

 昔話になるが,2002年に初めてベルリンを訪れたとき,空港で飛行機から荷物が出るのが遅く,ようやく受けとって表に出たら,人気が無くなっていた。ガイドブック頼りに,空港から中心部に行くバス(TXL)に乗り込み,ホテルに最も近い停留所(ウンター・デン・リンデン)を告げて,そこに行くかを運転手さんに確認してから乗車。なんと,乗っているのは我々二人だけだった。ちょっと心細い中,バスは中心部に向けて走っていったが,途中で,運転手さんが,「ホテルはどこなの?」と訊くので「ヒルトン・ベルリンです」と答えた。そのときには気にも留めなかったのだが,暫く走った後,バスが停まり,「着いたよ」と。見ると,なんとヒルトン・ベルリンの前(笑)。決して作り話でも何でも無い。ホテルは,バスの路線から1本奥まったところにあるのだが,丁度停留所と停留所の間なので,迂回してくれたようだ。あれには本当に驚いた。以降,あのようなことには遭遇していない。

 バスはかなり沢山の路線が走っているが,観光客にとって重宝するのは,マラソンのところにも書いた,100番・200番のバスである。100番は,動物園駅から戦勝記念塔-ブランデンブルク門-州立歌劇場-博物館島前を経由して,テレビ塔の近くのアレクサンダー広場を結ぶ。200番は動物園-フィルハーモニーポツダマー・プラッツ-アレクサンダー広場を結ぶ(ただし路線変更があったようである)。この100番・200番のバスは,2階建てのバスも多く使っているため,2階の先頭に乗ると,観光に最適である。

⑨ブランデンブルク門(2階建バスの車窓から)

(写真:ブランデンブルク門(2階建バスの車窓から))

 Uバーンも路線が多く,バスが運休しているときなども,そちらに回れば問題ない。古い車両の風貌は,銀座線にそっくりである。もともと銀座線がベルリンのUバーンを真似したそうだから,当然であるが(だから,ベルリンが恋しくなると,銀座線に乗りに行くことがある(笑))。

⑩ベルリンの地下鉄

(写真:ベルリンの地下鉄)

 Sバーンは,近郊(ポツダムのサン・スーシー宮殿等)に足を伸ばすこともできるが,普段は,アレクサンダー広場と動物園駅の間を頻繁に使っていた。この区間内には中央駅もあるので,ホテルからちょっと遠出するときには,Sバーンで中央駅まで移動してICEに乗車する。

 トラムは,東西ベルリン分断後は,専ら東側に残り,近年,中央駅付近まで伸びてきているようである。Uバーンで行くと遠回りの場所もトラムで行くと3駅(所要時間5~6分)くらいだったりすることもある。

⑪ベルリンのトラム

(写真:ベルリンのトラム)

 こんなに沢山ある交通機関を短期の旅行で使いこなせるのかと思うだろうが,おそらく紙の地図や路線図では無理。使えるのは,やはりスマートフォンのアプリがあるからである。これを使うと,たとえばホテルから東側の動物園(TierPark)に行くルートなども,すぐに判る。

 

六 ベルリン空港物語-旅の終わりに

 思いつくままにいろいろなことを書いていると,キリがないので,このあたりでベルリンの〆に入ることに。

 ベルリンには,かつて,空港が3つあった。テーゲル,シェーネフェルト,テンペルホーフ。

 テンペルホーフは2008年に閉鎖されたが,歴史的には,ヒトラーの肝いりで空港ターミナルビルが拡張されたり,東西冷戦時代に,ソヴィエトが西ベルリンを封鎖したときに,西陣営が西ベルリンに物資を大量に空輸した「ベルリン大空輸」の舞台になったりしたことで,知られている。で,今はどうなっているかというと,そのまま,広大な公園として使われている。滑走路をジョギングしたり,自転車で走ったり,セグウェイのレンタルもあった。私も数年前に散策したことがあったが,これまたのんびりとした空気を楽しむことができて,とても快適だった。日本だったら,すぐに再開発屋さんが目をつけて,無機質なビルを沢山建てて台無しにするだろう。

⑫テンペルホーフ空港跡地(2016年訪問時)

(写真:テンペルホーフ空港跡地(2016年訪問時))

 現在は,もう一つの旧西側のテーゲルと,旧東側のシェーネフェルトが残されているが,本来であれば,9年ほど前に,シェーネフェルトを拡張した新空港(ブランデンブルク国際空港)が開港され,テーゲルは役割を終えているはずだった。

 ところが,2020年7月現在,新空港は未だ開港されておらず,ようやく,今年の秋に開港される,という発表があった。しかし,「今度こそ開港」という発表は過去にも何度も出されているため,信用して良いものか…。正直なところをいうと,今のテーゲル空港はコンパクトでとても使いやすい。だから新空港はなかったことにして欲しいと思っているのが半分。ただ,ここ数年,テーゲル空港は旅客数が増えて完全にパンク状態となっており,搭乗手続をするのも長蛇の列になっていて,かなり早く空港についても,搭乗できるのかと不安になることもあるくらいである。今回のコロナウイルス騒ぎで,今は閑散としているようだが,まさかそれを理由として,テーゲルのままでいくということもないだろう。来年は新空港から帰国,ということになってほしい。

 そんなわけで,昨年の旅の終わりも,テーゲルからやっとの思いでルフトハンザの国内線でミュンヘンに移動し,ミュンヘンから羽田行きのルフトハンザに乗って帰国した。乗り継ぎをフランクフルトではなくミュンヘンにするのは,当然,ギリギリまで「ビール・ソーセージ・ブレッツェル」のドイツ三種の神器を楽しむためである(笑)。

⑬ミュンヘンの空港でしぶとくビール

(写真:ミュンヘンの空港でしぶとくビール)

 

 

 ということで,これでようやく2019年春のドイツ旅日記は終了。本当は,このいきおいで,このまま2019年秋のウィーン旅日記になだれ込み,念願だった「ドン・カルロ」を見た話とか,ベートーヴェンの散歩道をあるいた話とか,いろいろを書きちらし,そして,今年の2月・3月に起きたことを書き留めていってもいいのだが,色物があまり長話をするのもよくないだろう。ここで一旦区切ることにする。ウィーン旅日記はもしかしたら,日の目を見ないかも知れないが,そのときはご容赦を。